時は旧JAC(JAPAN AIR COMBAT)、ドイツサーバー時代に遡ります。2000年9月、まだ日本にチームがなかった頃、PhorkはAirAttackに参戦しました。まもなく、Special Sky Soldier、ひまわり組、Global Forceといったチームが次々と結成されていきましたが、Phorkはそのいずれにも属しませんでした。当時のFFA(Free For All: バトルロイヤル形式の個人戦アリーナ)ではどのチームも同じメンバー同士では戦わないことにしていたため、挑戦することができない相手が存在するということはPhorkにとって受け入れられなかったからです。Phorkは、かつて自分を完膚なきまでに打ち負かしたアメリカ人プレイヤーace_screamやドイツ人プレイヤーSpassprinzを倒すことを目標に、1on1の腕を磨くことだけに明け暮れていました。そして、彼らに勝つことができた暁には、その技術を伝授するための新たなチームを結成しようと考えていました。
2000年12月、第1回日独親善試合が開催され、Phorkは、初の正式なチーム対抗戦、それも対オールドイツ戦を経験します。オールドイツの連携、戦略は洗練されており、経験の浅い日本勢が敵う相手ではありませんでした。Phork個人のスコアは悪い結果ではありませんでしたが、オール日本のチームとしてのスコアは惨敗でした。
チーム戦は、チーム全体のスコアが全てです。Phorkが今まで磨いてきた1on1の技術がこの試合で生かされることは殆どなかったのです。Phorkはこのことにショックを受け、これからはチーム戦、その連携の戦術と戦略こそが研究されるべき対象であると感じました。そして2001年1月1日、友人Jinoと共に、チーム戦重視の看板を掲げた新部隊「青龍」を結成するに至るのです。
新部隊の結成に当たり、当時のチームの通例であったFFAでのメンバー同士の不戦に対しては、Phorkはこれに倣うべきではないとして、入隊規定に「FFAでは隊員同士であっても戦うこと」と記しました。FFAはあくまで個人戦の場であって、そこでメンバー同士が連携したところで、絶対数的有利が確定している以上は連携技術の向上には繋がらないと考えたからです。現在では全てのプレイヤーが平等に戦えるよう、FFAでの連携は"Teaming"と呼ばれる違反行為とされていますが、この規定は青龍が複数対複数の戦いであるチーム戦をいかに重要と捉え、研究しているかを物語っていたと言えましょう。
チーム結成からおよそ3年半が過ぎ、その間多くのパイロットが青龍へ入隊しました。しかし、ドイツサーバー閉鎖から韓国サーバーに移行するまでの長いブランクもあり、AirAttackでの活動をやめてしまったり、更にはチームとの連絡もつかない隊員、いわゆる幽霊隊員が次第に増えてきました。またJAC全体にしても同様にプレイヤーが減少していったことで、チーム対抗戦なども徐々に停滞していってしまいました。多くのチームにおいて、隊員はただ所属するだけ、古参がただなんとなく飛ぶだけという、いわば馴れ合いのような状態となってしまい、海外と対戦しても、日本はより惨敗するような状況に陥ってしまいました。青龍もその例に漏れず、これでは「連携を追及する」などというのも有名無実となってしまいます。
このような状況に危機感を感じた私達は、「青龍バージョン2計画」を立ち上げました。これは、まずは名ばかりの幽霊隊員を一掃し、より効率的で楽しめる、新規に入ってくる隊員がすぐにやめないようなチームを目指すものです。それによって大量の自動脱退者が発生しましたが、同時にチームとして新たな一歩を踏み出しました。バージョン2計画を実行してからの青龍はまた活発さが戻り、少数とはいえ充実した活動を再び行えるようになったのです。